Abraham Laboriel/dear friends (1993)
 コンテンポラリー・ミュージック界で80年代あたりからのセッション・ベースマンとしてまず挙げられるのがこの人ですが、これはそんな彼が・やっと・出したファースト・リーダーアルバム。プロデュースは盟友グレッグ・マティソン。アルバムタイトルからもうかがえるようにそれまで築きあげた人脈の結晶と言える豪華なサポート陣とともに、フィリップ・ベイリーやアル・ジャロウ(エイブラハム本人のvoもナカナカ)のヴォーカルナンバーを含む、サービス精神に満ちたPOPな楽曲の数々。そんな中、しっかりと彼の太いグルーヴを感じ取ることができるのもやはりベースマンのアルバム。まさに満を持した感のある内容ですね。
ACTIVE FORCE (1983)
 マイケル・ストークスの制作力が絶好調に達した1983年と言えば、エンチャントメントの“utopia”かこのアクティヴ・フォースか。全曲に渡って曲作りにも関わり、無名グループのデビューを支えたところは、こちらの方が力が入ったところかも。次世代ソウルのテクノ・ファンクビートも取り入れつつ、実は温かみのあるヴォーカル、コーラスワークを融合したブラックミュージック転換期らしい'80sソウル快作。ロビー・ブキャナン、パトリース・ラッシェンら鍵盤陣に、マイク・ベアード、フレディ・ワシントン、エディ・ワトキンス等のリズム隊など、腕利きプレイヤーがバックアップで斬新かつ安心感のあるサウンドとなった。
Adrian Gurvitz/sweet vendetta (1979)
 ブリティッシュ・ロックの世界に居た彼の「大変身」作と言われたAOR盤。「甘い復讐」と言うタイトルにかなり意味がありそうな、それこそ甘く、優しいナンバーで綴られています。Jeff,SteveのPorcaro兄弟(実はさりげなく父のJoeも参加してたりして)にD・ハンゲイト、D・ペイチのTOTOメンバーが全面的にサポート。時代的にもボズの影響がありありの良質アダルト。アレンジからメロまで文句なしですね。良い。
AFTERBACH/matinee (1981)
 ジョージ・デューク/スタンリー・クラーク好きには印象の深いバッキングメンであったロバート・ブルッキンスが弟マイケル・ブルッキンスと組んだソウル・ユニット。1981年作と言うことはロバート弱冠16才と言うわけで実は私と同い年か、と音とは別の意味で驚きの存在なのです。EW&Fが設立したARC/コロンビアからデビューした彼らはヴァーダイン・ホワイト&ビロイド・テイラーのプロデュース、executive-producerにモーリス・ホワイトと、アースのご加護の元にアルバムが作られた、と感じてしまうのが当然なのですが、いやいやこの堂々たる音の充実度とロバートの歌いっぷりは何だ!と。彼らの凄い所は楽器、歌だけでなくそのソング・ライティング力。アースのバックアップにも物怖じせず、まるでベテラン・アーティストの作るアルバムのようなハイレベルな音はこれが10代の兄弟が作るモノかと。この一枚でアフターバックとしての活動は終わり、ロバートはご存知ジョージ・デューク・ファミリーの一員となるのですが、16歳と言えば自分はアースやデュークをせっせとただ聴いていた時代。同い年で彼はすでに彼らの元で音楽をやっていたわけですから凄いの一言ですね。
AIRPLAY (1980)
 ジャケ写の二人のサングラスがいいですねー。時代を感じさせてくれます。あ、髪型もいいですね。暑苦しそうです。え?アルバムについて?ああ、そうでした。もはや説明の必要はないでしょう。言うだけヤボってものです。AORにハマッてしまった人なら誰もが通る道。一時代を作った二人が組んだ名盤です。
Airto/touching you... touching me (1979)
 フローラ・プリムの「everyday, everynight」同様、Bob Monacoとの共同プロデュースでアメリカン・ポップマーケットを狙った本作。ここでは全10曲中5曲をマルコス・ヴァーリがアイアートと共同で行い、ブラジリアン・ミュージックをより洗練されたスタイルで表現することを考えた作りになっています。まったくアイアート的ではないアルフォンソ・ジョンソンが書いたミディアム・ナンバーの7曲目が場違いすぎて逆に面白かったりしますが、全体としてもアイアートのアルバムとしてはかなり邪道系異色作と言えるのでは。しかし、私のwebで紹介するにはまさにピッタンコ。
Al Di Meola/elegant gypsy (1977)
 速弾きを持ち味とするクロスオーヴァーギタリスト、アル・ディメオラのスパニッシュ・ミュージックを強く意識したソロ2作目。ジャケットもそれを表していますが肝心の中身は加えてソロ・テクニックにグイグイ押されてしまう痛快さ。サンタナを彷彿とさせる“midnight tango”のような曲もありますがここでのハイライトは何と言ってもパコ・デ・ルシアとのアコースティック・デュオ、“地中海の舞踏”。二人が左右に分かれパコの余裕の伴奏にエスコートされAディメオラがここでもソロを弾きまくる(パコのソロもありますが)という展開はただひたすら情熱的でメランコリック。彼の地位を決定づけた一枚。
Al Di Meola/casino (1978)
 スティーヴ・ガッドとアンソニー・ジャクソンのリズム隊を固定メンバーとして前作以上にスパニッシュ・ハード・フュージョン色を強めた3作目。“黒い瞳のタンゴ”がお気に入りですがこの人の“tango”がつく曲はみんな素晴らしい(笑)。アルバム全体としてベースとなる曲調が親しみやすくなっていつつ、もちろん本人のパワーは少しもダウンしていないところはこの時期乗りに乗っていたことがわかります。ギタリストとして常に人気上位だったのもうなづける実力。我が道を行く音楽家としての姿勢からも同時期流行ったギタリストの中では一番評価したい人ですね。今となってはですが。若干24歳の時に作られた脱帽的作品。
Al Di Meola/splendido hotel (1980)
 自分の音楽を「民俗音楽の延長であり、ロックやジャズのエッセンスを用いて表現している」と話したとされる彼の4作目。(ジャケはイタリアで撮影されていますね)人気も高まりさらに期待された本作はついにRTF以来の御大チック・コリアも参加することになるわけです。当時ではLP2枚組の大作で1曲も長く片面2〜3曲と言う構成でした。新進プレイヤーであったフィリップ・セスのシンセが際立つ“alien chase on arabian desert”で幕開け(今回はいきなりアラビアでした)。録音も良くなり、半世紀以上前のものとは思えない音になりました。彼自身が歌う初のヴォーカルナンバー“I can tell”のPOPさはご愛嬌といったところでしょうか?冗談でしょ?と笑っちゃうほどの立派なAORは、同時期この路線に走るフュージョン・ギタリストへの「どう?俺だってこんなのやろうと思えば簡単にできるんだよ」とでも言いたげな挑戦状だったのかも。(ドラムを自分で担当しているところからも伺えますね。こんな曲を本職にやらせたら申し訳ない、と)しかしながら本格的にその方向には行くつもりもなく、エキゾチックが売りのディメオラ・サウンドがさらにコンテンポラリーになった、お腹一杯大満足作品。
♪“I can tell”♪
Al Di Meola/electric randezvous (1982)
 パコ・デ・ルシアとのギターデュオ曲などもあり、テクニック的にも聴きごたえがあることはあるのですが、いかんせんフュージョンブーム真っ最中だったころの作品でもあり、いかにも万人受け狙い的な安易なアレンジが少し安っぽく感じられるかな?前作までを聴いた後では過渡期的に感じてしまいます。ただ、もうヴォーカルナンバーを入れたりする無意味な遊びをしないところはちゃんとわかっているようで良い。アンソニー・ジャクソンのフランジャーを効かせたベースが懐かしいですね。ドラムはスティーヴ・ガッド、キーボードはヤン・ハマー、フィリップ・セスらいつものメンバーが参加。
Alexander O'neal/hearsay (1987)
 一世を風靡したジャム&ルイスの手によって登場したアレックスの傑作。一聴するとすぐわかる打ち込み系のそのアレンジも、ここまで徹底していれば逆に個性となります。シェレールとのデュエット「never knew love like this」はブラック・デュエット曲としてはかなり上のランクに来るのでは。
Al Jarreau/all fly home (1978)
 元祖「歌う楽器」がよりPOPになって聴きやすくなった作品です。ジャズにはこだわらず、かといってソウルに傾くこともない、白人も含むウエスト・コーストのバック・ミュージシャンのサポートで爽やかに仕立ててあります。「all」の後半展開はインパクトありました。
♪“all”♪
Al Jarreau/this time (1980)
 '79〜'80のJay Graydonは大忙しでした。これも見事、アル・ジャロウをAORの世界に引きずり込んだ記念アルバムです。チック・コリアの「spain」をヴォーカル曲にしてカヴァーしているところが聴き所。さすが歌う楽器。陳腐なAORにせずに自分の持ち味を失うことなくイメージチェンジすることに成功した好アルバムとなっています。

Al Jarreau/heart's horizon (1988)
 1969年にほとんど無名であったジョージ・デュークジェイ・グレイドンの二人が初めて出会い、約20年後にそれぞれ人気ミュージシャン・プロデューサーとなってアル・ジャロウのアルバムを共同製作、ついこんな見方をしてしまうのですが、ここは素直にジャロウの歌を楽しむべきアルバムなのでしょう。どちらかと言うとデューク色が強く、グレイドンはシンセのみのプレイでギターは弾いていません。曲調がカラフルで楽しいです。 
Al Jarreau/tomorrow today (1999)
 確かに「this time」や「breakin' away」においての「曲の良さ」といった面では、「heart's horizon」はやや過渡期的な作品に感じられたものですが(と、いうかマトモすぎた?)、正攻法のヴォーカル・アルバムとしては久々に聴き味の深いアルバム出してくれました。ビル・チャンプリンとグレッグ・マティソン共作の一曲目でしっかりと掴まれて、さらに中盤でウェザー・リポートの「something that you said」をヴォーカル曲としてカヴァー。またやっちゃったよこの人。もういい歳になってきたのですが、独特のパフォーマンスは健在で、嬉しい限りです。
Al Johnson/peaceful (1978)
 ソウル大名盤、待望のCD化だそうです。自分はこのアルバムの存在は知らなかったのですが、とにかくこの人の「I've got the second wind」だけは良く聴いていました(下記にも記述)。本作に手を出してみてビックリ。全然良いじゃないですか(なんちゅう日本語だ)。とても78年とは思えないすこし古っぽい録音と甘渋いメロディーラインが良い雰囲気でマッチ。次作のイメージから軽視していた人でしたが、これはたしかにソウルの名品ですね。あら、何かノイズが入ったと思ったらこのCD、マスターテープが紛失のためアナログLPから音を採って焼き直したのだそうです。そこまでして…。わが国のリイシューに対する気合の入り方に頼もしく感じてしまいました。
Al Johnson/back for more (1980)
 こう言っては大変失礼だなと思いつつそれでも言ってしまう(^^;のですが、やはりノーマン・コナーズ(プロデュース)らしい演歌的アダルト・ソウルを行く作品になっていて、さらに意地悪な言い方だとB級作品と言う事になるのですが、私的にはそういった「ニヤッ」とできる部分があれば充分OKなのです。そんな中でもの凄く良い曲なのが「I've got my second wind」。これだけは良く聴いたものですねえ。
Alphonso Johnson/moonshodows (1976)
 若きアルフォンソ・ジョンソンの初リーダー作。ベースというリズム楽器でありながら、とても人間臭い音を出す彼は、独特の「アルフォンソ・グルーヴ」を持ちながら実に様々なセッションに顔を出していましたね。これは当時仲の良かったジョージ・デュークの参加や、今ではなかなか聴かれないナラダ・マイケル・ウォルデンのパワーあるドラムスなど興味深い作品となっています。
Alphonso Johnson/yesterdays dreams (1976) 
 フィリップ・ベイリー、ダイアン・リーヴス、ジョージ・デューク、パトリース・ラッシェンマーク・ジョーダン、デビッド・フォスターら大ブレイク前で一セッションアーティストとしての参加が興味深く聴ける、前作よりPOPになった今や入手困難な一枚。しかしながら主役はアルフォンソでありいつものモコモコとしたファンク・ベースは健在です。ベースラインだけ聴いていても面白い人ですね。この人。
Alphonso Johnson/spellbound (1977)
 アルフォンソ・ジョンソンがソロ・アーティストとしてアルバムを製作していたのは驚くほど短い間。それも1976〜77年の2年だけでその間にepicから3作ものアルバムを立て続けに発表したが1stが典型的なクロスオーバー・サウンド、2作目がブラック/ポップ・フィーリングも加えたより広い層に向けたフュージョン作、そしてこの3作目「spellbound」はまたそれらとは違った視点から作られたものとなりました。ここでついに、アルフォンソは自分のやりたかった音楽を成し遂げたのではないかと思われる音世界を表現しています。ジャズとロックをミックスしたクロスオーバーに、より広い層へ向けたヴォーカル・ナンバーを挟むアルバム製作法はすでにさまざまなミュージシャンが行っていましたが、ここでは早くもその手法からさらに進化させ、新楽器スティックをも用いてプログレからワールドミュージックの方向にまでアプローチしていました。彼のヴォーカルを聴く限り、黒人でありながらどこか白人音楽への憧れも感じさせつつ、でもやはり持って生まれたリズム感は味方につけながらも、従来のフュージョンとはまた違う、人種の垣根を越えた新しい音楽を目指していたのではないかと。でもそんな中で難解になりすぎずどこか親しみ易い音になってしまうのが彼の良い所だったりするのですが。
Alphonze Mouzon/funky snakefoot (1973)
 なんといってもウェザー・リポートの初代ドラマーであった彼ですが、元々ジャズ・ドラマーとしてデビューし、70年代前半はジャズ・ロック、後半はクロスオーヴァー・フュージョン、そして80年代に入るとソウル・ブラック・コンテンポラリー系の音楽をやり始めるといったお決まりパターンの流れにそったミュージシャンの中でも結構この人はアクが強くて、それぞれのカテゴリの中でも所謂「万人ウケ」ではなく好き嫌いがはっきりするドラマーであったと思います。このアルバムはロック・カントリー、フリーソウルと各曲それぞれが良く言うと幅広い音楽性を見せていて、ターゲットやコンセプトを絞らなかったところが評価の低い原因なのでしょうけどこの時代にドラマーが作るアルバムというのはこんな形でも良かったのかもしれません。
Larry Coryell-Alphonse Mouzon/back together again (1977) はコチラ
Alphonse Mouzon/mind transplant (1975)
 ジャズ・ロックではトミー・ボーリン、フュージョンではリーリトナー、二人のギタリストをフィーチャーしたアルフォンス・ムザーン渾身のハード・ドラミング快作。ビリー・コブハム「spectrum」との双璧にあたる作品で後発のこちらの方が音楽的にも良く練り込まれており聴いていて面白い。そこはフュージョン作におけるブルーノートお抱え的な鍵盤奏者ジェリー・ピータースがさりげなく参加しているところもあろう。トミー・ボーリンも自らの1stソロ・アルバムでのギター・プレイで様々な顔を見せる新境地を開拓しており、その音楽性の広がりが元々柔軟性のあるA・ムザーンと見事にコラボレートしている。1曲のみだが第3のギタリスト、ジェイ・グレイドンがさりげなくリー・リトナーとバトル・プレイする“ascorbic acid”もなかなかエキサイティングだ。
Alphonse Mouzon/the man incognito (1976)
 コチラでドーゾ。
Alphonse Mouzon/by all means (1981)
 クロスオーバー/フュージョンが一世を風靡し、その勢いもやや落ち着いて来た中でアルフォンス・ムザーンがこの時期に制作したのはなんともオーソドックスなソウル系フュージョンだった。ドラマーながらこの世界でいち早く活動してきた彼が見据えていた先はエンターテイメントだったのかもしれない。唐突な“space invader”のようなアイディアは今では苦笑してしまうが、演奏テクをグイグイ押していく時代からエンタメ世代への遷移の中でドラマーが出来る事の苦悩が表れたアルバムのようにも取れる。しかしながらここではハービー・ハンコックがピアノとエレピで珍しく長々とフュージョン的ソロ・プレイを繰り出している珍しい作品でもあり、そんな点でもただ耳心地の良いだけの作品とは一線を画している。
AMBROSIA/one eighty (1980)
 バンドとしてのAORサウンドで人気があったアンブロージア最大のヒット盤。なんと言っても「biggest part of me」ですよね。AORというよりも、POP−ROCKの印象の方が強いですね。ただ、TOTO等よりも各パートの演奏的なテクニックが強調されていないので、テク重視の日本人にはあまり受け入れられなかったバンドでした。
Amy Holland (1980)
 80年代に入ると、どちらかと言えばそれまでの女性シンガーは市場の変化からロック調で攻撃的なアーティスト・スタイルへ転換していく中、それに反したいかにも「女性らしい」歌で登場したのがこのエイミー・ホーランド。POPフィールドにおいての女性ヴォーカルの魅力を最大限に引き出したのは後にダンナとなるマイケル・マクドナルドとパトリック・ヘンダーソン。特にM・マクドナルドの音への影響はやはり大きく、ポール・ブリスの“how do I survive”で始まるなんてのはこの3人の親密な関係をズバリ現していますね。ストリングス・アレンジはニック・デカロにミキシングはアル・シュミットと、裏方陣もプレイヤーと共に豪華。丁寧に時間をかけて作られただけはある聴き応えの名盤。
Andraé Crouch/don't give up (1981)
 →コチラでドーゾ。
Andraé Crouch/mighty wind (2006)
 “Jesus”、“Lord”、“Holy”てんこ盛りのゴスペル・アルバムには違いないのですが、なにしろ音のセンスが良すぎるので知らないで聴いたらとてもその種の音楽とは思えない。そして大前提にあるモノがモノだけに、コンテンポラリーなアレンジの中に聴く者を優しく包み込んでくれる温かさがあり、どの曲も希望に満ちているのですよね。なにしろ初っ端の“I was glad”が圧巻。この1曲で私は飛び付いてしまいましたw 大御所アンドレ・クラウチ、活動40年の集大成。
Andrus Blackwood & co/step out of the night (1982)
 IMPERIALSの初期メンバーだったSherman AndrusとTerry Blackwoodの黒人&白人混合デュオからなるCCM/AORユニット。例によって2〜3年後追いの古き良きAORを基に展開される爽やかさはどちらかと言うと白人系サウンド寄りとなっている。Phil Johnson,Hadley Hockensmith作の曲が中心で最後まで佳曲が中弛み無く並ぶが、中でもH・HockensmithとBruce Hibberd共作のミディアムはイントロと言い曲調と言いウォーミングなホワイト・ポップのお手本のような懐かしさに包まれる。
Angela Bofill/angie (1978)
 アンジェラ・ボフィルのデビュー・アルバムはデイヴ・グルーシンの全面的プロデュースによって作り上げられた。綿密に練り上げられたアレンジの中に、A・ボフィルのサイレント・ストーミーとも言うべき繊細かつ力強いヴォーカルが光る。いかにも売れセン狙いのような軽薄さが一切無く、D・グルーシンが彼女の為に最良の楽曲を選びアレンジメントを行った親心まで感じられる仕上がりだ。“the only thing I would wish for”でのデイヴ・ヴァレンティンが奏でるフルートとの掛け合いなどは鳥肌が立ってしまう。バディ・ウィリアムスとスティーヴ・ガッドのドラムス、フランシスコ・センテーノのベース、エリック・ゲイルのギター、そして渋い隠し味であるラルフ・マクドナルドのパーカスなどシンプルでありながら彼らならではのバッキングで固められた一貫性のあるサウンドも嬉しい限りだ。
♪“the only thing I would wish for”♪
Angela Bofill/too tough (1983)
 ただ歌のうまい女性ヴォーカリストじゃやっていけないですよね。ジャズ畑で鍛えたノドを生かした上でチャートの上位に来るようなスターシンガーにならなければ...ジャケットからしてそんな意気込みが強く感じられるアンジーのアリスタからリリースされた本作。1983年ですもんねぇ。前半は同じジャズ畑からこのフィールドでの転換に見事大成功したナラダ・マイケル・ウォルデンがプロデュースを担当。アシュフォード&シンプソンの名曲をボズ・スキャッグスとデュエットしちゃったりしてこれはいい。しかし、売れ売れ意識丸出しでアンジー自身がプロデュースした後半の方がむしろいい味が出ているような気がします。
Angela Bofill/intuition (1988)
 フィリス・ハイマンと共にノーマン・コナーズのお気に入りヴォーカリストであったアンジーの復活的作品。デビュー時はクロスオーバー・ジャズヴォーカリスト的な路線であった彼女がアリスタに移籍後はポップ・フィールドで開花し、一応の成功を収めました。これは子育てのために休業後のキャピトル移籍第一弾ですが、やはり商業的成功を狙うべく、ヒット狙いの路線がアリアリで、そんな思惑とセールスがうまく噛み合わなかったアーティストでしたね。そんな中でもN・コナーズがプロデュースしたジノ・ヴァネリのヒット曲「I just wanna stop」のカヴァーは良くできており、この路線で統一してくれたほうが良かったという印象はチト残念。
Angelo&Veronica/change (1999)
 とても質のいいR&B感のある男女のポップデュエットなのですが、二人ともいかにもヨーロッパ系の白人で、しかもルックスがちょっと・・・。アルバムの出来はいいのに外見だけで売れなかったとは言いすぎでしょうか。CCM系なのでこの時代としては主流から外れたPOP感なのですけどね。甘ったるすぎず、なかなか渋いサウンドになっています。
Arnold McCuller/a part of me that's you (1984)
 バックボーカルとして数々のアーティストをサポートしているアーノルド・マッカラーのファーストソロがCD化されていました。84年という時代に作られた作品としては実に落ち着いたヴォーカルアルバム。しかしそれはけっして地味で面白みがないと言ったことではなく、発表当時はすでに時代遅れとみられたAOR寄りのソウルが今の時代に正しく評価され復活させるに相応しいクオリティを持ったものであったと言えるでしょう。何しろ主役の歌が際立っています。うますぎて面白くないってツッコミが入りそうではありますけどね。黒っぽさが抑えられているのは曲作りとプロデュースに関わったデヴィッド・ベノワの影響が大きいか。子供にはわからないでしょうね。この味は。
Arnold McCuller/you can't go back (1999)
 まさにベテランの力を見せつけるヴォーカル。派手な仕掛けもなく、Michael ShapiroやNDUGUを中心としたヒューマンなリズムをバックに今のソウルを聴かせてくれる安心の一枚。Bill Cantosが大部分をサポートしている事でアダルト・コンテンポラリー寄りのマイルドさが増した所も良いし、Don Grolnickの“pointing at the moon”をヴォーカルバージョンとして焼直したのは渋い! 70年代に影響を受けたなんて言うガキンチョの音とは対照的な大人の耳に耐えうるアルパムです。
Art Webb/Mr.flute (1977)
 マイナーになりがちなフルーティストと言う存在ながら、これはアトランティックと契約した黒人フルート奏者の“時代が好都合に生み出した”ファースト・ソロ・アルバム。なんとプロデュースはディスコ・ソウルマスター、パトリック・アダムズなのだ。管、ストリングス、バックコーラスも入り乱れたとてもリッチなグランド・ソウル・サウンドの中、主役のジャジーで表情豊かなフルート・プレイが心地良く流れて行く好盤。いかにも、大レーベルの下で作られた感のある音ですね。
Art Webb/love eyes (1977)
 ZEMBU PRODUCTIONSのプロデュースによる本作は前半の“you can't hide love”〜“free”〜“devotion”へと続くソウルカヴァー三連打をひとつの聴かせポイントにしながら、後半は素直にインストものに徹すると言う、良くも悪くも二種類のフルート・フュージョンを楽しめる作りになっています。The Eleventh Houseのメンバーが集合して“pyramids”をやったりしていますが、主役のフルートはなかなかホットに吹いていてもバックが淡々としていてアルバム全体の印象が薄くなってしまっていますね。個人的には前半のノリで一枚通して欲しかったかなと。ギターにハイラム・ブロックレジー・ルーカスが参加。
Arthur Verocai/encore (2007)
 アルトゥール・ヴェロカイは1972年にMPB次世代派の根幹となり、独自の音楽の魔力とも言うべき素晴らしい才能を放ったファースト・アルバムを発表するも、その後は表に出ずイヴァン・リンスのサポートなど裏方中心に活動をしてきた伝説的アーティストである。これは実質的には3枚目の作品だが、ファースト・アルバムのトータル・ミュージックに立ち返ってこれまで培ってきた幅広い音楽性を遺憾なく発揮した復帰作とも考えられるものだろう。現代のレコーディング環境の下ではファースト・アルバムに覆われているポップな中にある神秘的な空気感と言うものはどうしても出しようがないが、クラシック音楽から始まり、ブラジル音楽を芯にしながらポップ、フォーク、ジャズ、民族音楽などをミクスチャーしたその柔軟な音楽性を現代のアレンジに見事に溶け込ませている。長い音楽経歴を持ちながら、けして懐古主義ではない“今”がここにはある。そんなこのアルバムの核となる、アジムスをバックに歌うナンバー「bis」はポルトガル語でアンコールの意。彼の“今”を求めていた我々のアンコールの喝采に見事応えてくれた作品と言えましょう。
A TASTE OF HONEY (1978)
 「今夜はブギ・ウギ・ウギ」のヒットで良くラジオでも流れていた当時は、ディスコブームもあってか流行に乗って出てきたガール・ユニット、との印象が子供心にありましたが、今になってマジマジと聴いてみるとそれはとてもとてもアーティスティックに作られたアルバムだったりします。ジャケット画でもわかる通り、彼女達は歌だけでなくギター(Hazel P.Payne)やベース(Janice M. Johnson)もプレイしてますし(演奏は粗いですけどネ)、曲作りにも携わってます。立派なアーティストだったんですね。そしてプロデュースはMizell兄弟でありました。ストリングスを小粋に挟んだ70年代の香り豊かなセクシーソウルが聴ける懐かしの一枚!
「twice as sweet」はコチラ
ATTITUDES/good news (1977)
 リーダーはご存知ジム・ケルトナー、ギターはダニー・クーチとアメリカン・ポップ/ロックを支えてきた二人に若きデヴィッド・フォスターと黒一点ポール・ストールワース(b)ら4人によるセッション・グループのセカンド。ファーストと同じように各人が曲を寄せ合っているわりには音がカチッとまとまり、より黒っぽく、ファンキーに、かつ後のAOR的なメロウさも併せ持った音になった。ダニー・クーチの存在感は以前と変わらないが、ここではD・フォスターの鍵盤が前作よりもさらに際立つ部分が見られ、中でもサポート的に参加したジェイ・グレイドンのソロが聴ける“change”は二人のファンなら必聴ナンバーと言えるでしょう。しかし、みなさん本職ではないので歌はうまくないんだよねぇ(笑)。
AVERAGE WHITE BAND (1974)
 名匠アリフ・マーディンをプロデューサーに迎えたメジャーレーベルATLANTICにおける第一弾。ブルーアイドソウルバンドの元祖的な存在です。名曲「pick up the pieces」、アイズレーの「work to do」のカヴァーもこのアルバムに。
AVERAGE WHITE BAND/shine (1980)
 うわー、デビッド・フォスター!と思わずプロデューサーを叫んでしまうくらいの洗練ぶり。ホワイトソウルからAORへの変貌で新たなファンをつかみましたが、バンド自体はそれ以降急激なパワーダウンをしていく事となりました。
AURA (1979)
 魅力的な音楽の溢れる70年代後半に発表されていたこのAURA、当時ハワイでも盛り上がっていたSEAWINDLEMURIAに代表されるホーン・セクションを駆使したメロウ・ファンクバンドの流れを汲んだものでありました。一曲目のダンサブルなファンク・チューンはどちらかと言うと幕開けの景気付け的なようなもので、このバンドの良さは2曲目からの女性ヴォーカルをフィーチャーしたフリー・ソウル展開ではないでしょうか。メロウなナンバーをはさみつつの「magic lover」、「no beginning, no end」、「short and sweet」などは怒涛のホーン・ファンク。そしてボーナストラックとして収録された「the feeling's right」は極上のAORなど音楽性豊かな構成。しかしながらこれは本土上陸を狙った知名度の向上や売上を狙ったものではなくメンバー11人中8人を占めるメンドーザ・ファミリーの活動記録を単に記録しておきたかったがために作られたものとの事。まあ、詳しくはライナーに書いてありますので興味がある方だけが読めばよろしいのですが、そんな純粋な思いから来る音楽に留めておくにはもったいない程、センスの塊のようなアルバム、もっと良い音で聴きたかったなぁと。このアナログな音質も妙に味があることはあるのですが。
Azar Lawrence/people moving (1976)
 コチラでドーゾ。
AZTECA (1972)
 サンタナ・ファミリーであったコーク・エスコヴェードを中心としたラテン/ファンク・グループ。メンバーは17人の大所帯でレニー・ホワイト、ポール・ジャクソンの強力リズム隊にサンタナ繋がりでニール・ショーンもゲスト参加。ジェームス・ヴィンセントが正式メンバーだったグループとしても知られていますね。ここではサンタナよりもさらにソウル・ファンクの色を濃くし、ホーン・セクションも含めてよりゴージャスな音を形成。躍動感のあるラテン・サウンドの中にも“love not then”のようなフリー・ソウルも見られるようなレンジの広さがいいですね。
AZYMUTH/light as a feather (1980)
 「クロスオーバー・イレブン」のオープニングで使われた“fly over the horizon”収録で日本では馴染みの深いアルバム。タイトル曲はリターン・トゥ・フォーエヴァーのアルバムタイトル曲だ。RTFの主要メンバーであったアイルト・モレイラ=フローラ・プリン夫妻とこのアジムスの鍵盤奏者ジョゼ・ホベルト・ベルトラミはブラジルでは良く共演していたそうである。そんなブラジルのジャズ・フュージョン界を代表する鉄壁のトリオ・ベルトラミ/アレックス・マリェイロス/イヴァン・コンチが織り成す、時には熱く時には涼やかな音楽の風に巻かれてみるのもいいでしょう。


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